ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom

ブギーポップのTVアニメとして、非常に評判の悪い「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」を紹介したい。確かに、設定を変更した上でのオリジナルストーリーをやった挙句、人物の見分けが困難な作画であったり、暗すぎる上に、1回見ただけでは到底理解できない内容と ブギーポップのアニメ化とは到底呼びがたい作品である。

しかし、ブギーポップは笑わない TVシリーズシナリオ集」を一度読んでほしい。何故なら、同時にブギーポップファンからは、原作以上に「ブギーポップは笑わない」をしていると、非常に評価が高い作品である。そして何より、オリジナルストーリーをするなら、こうあるべきだという作品でもあり、紹介するに値する作品だと思う。

オリジナルストーリーの理由

そもそも、この作品のストーリーは、「ブギーポップは笑わない」と「夜明けのブギーポップ」を基に、エコーズが光に還った後のサイドストーリーである。なぜ、オリジナルストーリーにしてしまったのか、その理由はあまりに酷い。単純に「ブギーポップが笑わない」という作品はアニメ化するのが難しかったからである。

(今では、シャフトあたりなら、会話だけで1話使ってくれそうな気がするが、当時はその発想がなかったということと、今ほど作品を使い捨てにしてなかったせいか、どうも「ブギーポップは笑わない」の1巻だけでするつもりだったらしい。)

ファントムという謙虚さ

理由は酷いが、決して手を抜いた訳ではない。そのオリジナルストーリーは本気で作られている。TVアニメとしては如何かと思うが、その本気さ故に、シナリオ集が本編といっても過言ではない程である。

世界観設定の理解

メディアミックスの都合上、映画にあわせて変更した部分はともかく、他は基本的に原作に忠実である。よくあるオリジナルストーリーには、原作設定と矛盾が生じることが多いが、あのよくわからない原作の設定であるにもかかわらず、本気で作品を理解しようとしたため、安易な設定は行われなかった。

それがファントムである。ブギーポップシリーズお約束であるが、ブギーポップが動きすぎれば、それだけで矛盾する可能性が高い。オリジナルに敬意を払いつつ、それでいて物語を動かす舞台装置という訳だ。物語を終わらすことが役割のブギーポップとは反対に、物語を進めるのが役割とは実にファントムらしい。しかし、単なる偽者と思うなかれ、設定もよく練られており、とってつけられたものではない。

そして、この物語の中核にある敵は、非常に上遠野的である。TVアニメから10年後の原作で名前がバッティングする程に、よく原作を理解し作られている。

作品の異様なまでの暗さ

この作品の暗さであるが、映像が暗いのは意味ある演出のため、置いておくとしても、如何してストーリーまで暗くなってしまったのか。その理由はシリーズ中でも人気の高い「ブギーポップは笑わない」の人気が出やすい部分を抽出したからである。つまり、学園モノの主役である、生徒の暗い部分に焦点を当てた。

逆に言えば、「こんなのブギーポップじゃない」とか「上遠野の作品ではない」と言われる理由でもある。原作で描かれているもの自体が幅広く、暗い話も描きつつも、ありきたりの愛や友情を主軸に描くため、暗いイメージがあまりない。しかし、これをTVですると、普通はまとまりがつかなくなるため、暗い部分に絞ったようだ。

原作者の作品の再現という意味では、明るい部分も描くべきだった。しかし、これが原作以上に「ブギーポップは笑わない」をしているといわれる理由となっている。この判断は決して間違いではなかった。

(そもそもあの原作が異常なだけで、普通はこんな感じに落ち着くものである。)

理解の難しい物語

この作品は1回見ただけでは、気づけないことも多く、概要ですらつかめなかった人もいるのではないだろうか。では、何故そうなのかといえば、アニメ自体の作りも原作を再現した結果である。そもそも、この物語の期間は、エコーズが光に還った後の1ヶ月であるが、原作通りに、人物ごとの視点で描き、すべてを見た後で話がわかる構成となっている。しかも、原作が人物ごとなだけでなく、時系列がバラバラで書かれていることも再現したのだ。

シナリオ集を読めば、そのがんばりを理解できると思うが、各話ごとの繋がりが多いせいで、1話単独で見ることが難しい。そして何より、致命的だったのが、人物の見分けが困難な作画である。これでは、繋がりがわからず、理解できるはずがない。

(これで、カーミラを探せ!とかやられたときには、私は絶対にきれる)

また、完全なサイドストーリーであるため、基となった「ブギーポップは笑わない」と「夜明けのブギーポップ」には殆ど触れられない点もある。一応、マンティコア戦や凪の退院の理由は描かれるが、基本的に説明がないため、ブギーポップを含め、レギュラーメンバーについては、あまり語られることがなく終わる。

 ここまで読めばわかるように、問題は非常に多い作品である。しかし、間違いなく、魂が込められた本気の作品でもある。安易にオリジナルストーリーに走り、適当に話を作る作品が多いが、少なくとも、この作品はそうではない。原作を無視してオリジナルストーリーをするのであれば、この作品のように本気で作るべきだと私は思う。たとえ、評判が悪くても、本気で作られた作品は忘れられず、理解する人は必ず存在する。

OP「夕立ち」

さて、最後にあげるのはOP曲の「夕立ち」である。 この作品からこの曲を外すことはできない。何故なら、この作品のもっとも素晴らしい点は、この曲がOPということだからだ。アニメのOPの中では名曲だと思うが、それだけではない。

言い過ぎかもしれないが、この曲がこの作品の雰囲気なんじゃないかと思っている。脚本を書いた人たちよりも、この曲を作ったスガシカオの方が、この作品を理解しているんじゃないかと思うほどに、この作品の雰囲気とあっているのである。

(因みに、ED曲も、杏子の「未来世紀(秘)クラブ」だったりと、アニメとは思えないくらい攻めた選曲となっている。)

 

因みに、私の感慨深いシーンは、受験から帰る籐花と末真さんの駅での会話である。

東京の忙しない雰囲気を感じて、籐花が「東京に来ても私達は変わらずにいられるかなぁ?」というようなことを聞くのだが、それに「籐花なら、大丈夫だよ」と答えた末真さんが心の中で「私は自信がない」とつぶやくのである。

それもそのはず、今や、末真さんは世界の中心である。おそらく、籐花や凪の学年で1番変わってしまったのは、末真さんだろう。もちろん、アニメは意図してした訳でないだろうが。大学生になり、統和機構の中枢候補となる未来を考えると、感慨深いものである。

 

関連記事

「ブギーポップは笑わない」と上遠野浩平

「偽書 実存する嘘」は霧間誠一足りえるのか