CHAOS;CHILD

カオスヘッド」の後継作で、ニュージェネ事件、その後の渋谷大震災から6年後、町は復興したが、カオスチャイルド症候群として人々に震災の爪痕が残された渋谷。その舞台で新たなニュージェネ事件が起こる物語。

そして。僕はくそったれなゲームをクリアーした。

 文字通り、くそったれなゲームをクリアーした。物語。

CHAOS;CHILD

CHAOS;CHILD

 

  「カオスヘッド」「シュタインズゲート」とは毛色が異なり、非常にメッセージ性が強く、5pbとは思えないくらいのシナリオの完成度を誇る、シナリオ的にシリーズ最高の作品ではないだろうか。後で考えれば少し無理に感じる部分も、プレイ中はそんなことを感じさせることもなく、最後までダレずに雰囲気が造られ続ける、隙のないシナリオになっている。「カオスヘッド」よりは全体的にマイルドになってはいるものの、事件が置いてけぼりになったり、出オチと感じることもない。また、シナリオ的に「シュタインズゲート」を推す人もいるだろうが、純粋にシナリオだけでいうなら、圧倒的に「カオスチャイルド」である。あくまでも「シュタインズゲート」はキャラクターありきで得られる感動であり、逆に「カオスチャイルド」のキャラはシナリオありきで得られるキャラクター性になっている。そのため、設定だけからすれば、恐らくシリーズで一番魅力のないキャラクターしかいない。しかし、それに対してシナリオで丁寧に描くことで、キャラクターに魅力を感じられる作りとなっている。

出来がいいのは1週目のエンディングとトゥルーエンドで、逆に個別ルート自体が雑に感じてしまう。ただ、1週目だけでもかなり満足できる作りで、個別ルートはキャラの掘り下げとこれまでの「カオスヘッド」を踏襲したようなストーリーのため、毛色が違うのも仕方がない。そして、トゥルーエンドであるが、たぶん、1週目で満足した上で、ファンディスク的な位置づけで個別ルートをして、きっと1週目のエンドで救われなかったものが救われるとか、さらに黒幕が出てきてそれを倒すとかくらいに思って、プレイすると思う、もちろん神シナリオを期待して。

きっと、頭に冷水をかけられた感じがする。これは、そんな話では終わってくれない。ここまで温めて期待した気持ちですらぶち壊す。そんな話じゃないんだよ、と。正直、1週目ではシナリオのいい神ゲーくらいにしか思えない。しかし、これはそんなんじゃないんだよ、と伝えてくる異常なまでのメッセージがヤバイ。単純なゲームの延長線上にあるものではなく、まともな小説でもここまで扱えるものはないんじゃないかと思わせるメッセージを感じてしまう。これまでの科学ADVとは別物へと変貌する。

この作品を楽しむためのアドバイスをしよう。まず、ネタバレを読まずにさっさとプレイすることだ。そして、第2に個別ルートも、1週目に比べて大したことないからといって、適当にプレイするのではなく、丁寧にプレイすることをおすすめする。個別ルートに何かがあるのではなく、個別ルートもプレイすることでカオスチャイルドの世界に頭をなじませることに意味がある。馴染んだ分だけ、トゥルーエンドがいい感じに突き刺さってくるはずだ。それでは、未プレイの方は回れ右でもして、プレイしてくることをおすすめする。

 

 カオスヘッド

科学ADVシリーズの1作目で、猟奇的なニュージェネ事件が目玉であり、人を引き付ける魅力があるが、悲しいかな途中から影が薄くなり、陰謀論的オチのため何でもありとなってしまい、事件を解くという意味を失い、出オチに成り下がってしまった。その分、ひたすらに主人公を虐げ続ける、精神的に追い詰める偏執ゲーと化しており、シリーズ中一番ぶっ飛んでいる作品である。しかも、Xbox360で追加されたルートのおかげで、18禁ゲーになっており、家庭用ゲーム機において初めて残酷描写のみでCEROでZを獲得した記念すべき作品である。いや、ぶっ飛びすぎだろ。どが、ばき、ぐしゃー。また、個別ルートが作られながら、本人が出ることなく終わる前代未聞のルートもある。

ちなみに、一応、美少女ゲームであるが、これは恋愛ゲームではない。何故なら、主人公がヒロインに対して行う告白シーンが「僕を、助けて・・・」しかないのだから。そこにあるのは利己的な理由しかない。これも前代未聞である。個人的におすすめの楽しみ方は、ヒロインの生存率を調べながらプレイすることである。公式スペックでは最高なはずなのに、死亡率が異様に高いメインヒロイン。どう考えても、スペックが高すぎる上に、主人公に精神的な支えになってもらっただけで、ラスボスを遠距離というか、全然関係のないところから攻撃して終わらしてしまうヒロイン。個別ルート以外ではストーリーに絡まないために、生存率が高いヒロイン。

ストーリーがいいとはいわないが、このぶっ飛んだ作品をやらないのはもったいないと思える作品となっているため、ぶっ飛んだものが好きな人にはおすすめできる。

シュタインズゲート

キャラクターものの最高峰であり、たぶん、製作中は誰もここまで当たるとは思わなかったんじゃないだろうか。どのキャラクターをとっても魅力がすごい上に、トゥルーエンドである「境界線上のシュタインズゲート」は、ずるいと思わせるほどに盛り上がる。たぶん、小説をよく読む人からすれば、そこまで大した展開ではないが、それでもそこそこの内容であり、それさえあれば、キャラクターが魅せてくれるという異常な作品。どこまで異常かといえば、そこまで忠実というわけでもないけど、そこそこに描いただけでアニメがウケて、さらに劇場版も出来る。シリーズ中、ファンディスクが最も多く、万人に薦めれる内容である。

現実と空想

 「カオスヘッド」では、主人公の空想は徹底的に否定され、現実に帰還させられる。しかし、「シュタインズゲート」では、主人公の空想は肯定される。そこの違いは明確であり、逃避か対峙かというスタンスの違いである。カオスヘッドの主人公は逃避として空想を生み出した。その点、シュタインズゲートの主人公は、幼馴染を救うために、辛い現実に対峙するために生み出した空想である。そのため、物語中盤で、現実の辛さに打ちのめされ、空想を捨て去るが、最後には現実に対峙するための武器として、再び空想を掲げる。結局のところ、シュタインズゲートの主人公は、どちらにしても、現実と常に向き合い、対峙する。シリーズを通して、肯定と否定の2パターンがあっても、現実に対峙するという意味では同じスタンスを取り続けている。

今回の「カオスチャイルド」では、その点はどちらでもない。いや、どちらでもダメだ。どちらも、それでいいという答えなんて用意されていないんだよ、というこれまでとは違うスタンスになっている。現実の逃避として情強を自称する主人公は、誰よりも現実を追い続けるという、非常にアンビバレンツな状況に陥っている。しかし、事件を通して、家族の大切さ、当たり前の日常に埋没したとしても、その中で生きる大切さを学んでいく。しかし、それは適うことなく、真実を追う選択をすることになる。そして、当たり前の日常を失うことになる。では、当たり前の日常、目の前のものに妥協すればよかったのかといえば、そうではない。カオスチャイルド症候群から解放されるを考えれば、それではダメだったのだ。そして、本当の現実を直視した主人公は、大切なもののため、現実に対し諦観にも似た受け入れをすることになる。確かに空想は否定されるのだが、空想がなければ、現実にたどり着くことが出来ない。逃避でもあり、対峙のキーにもなっている。しかし、現実に抗った上で、やはり現実に対しあきらめ、受け入れるしかないという結末である。

現実と空想、対峙と逃避、諦めと追求・・・目の前の現実で満足してしまっては、我々の妄想で彩られた現実から、本当の姿を見つけることは出来ない。しかし、現実を認めなければ、妄想から抜け出せない。どちらかを取れば大丈夫なんていう、安心は与えられることはない。

与えるものと与えられるもの

 人は初めから妄想にある場合、独りでは現実を知ることはできない。自らの内の中に、その現実に対する答えはないのだから。主人公も同様に、カオスチャイルド症候群から、独りで抜け出すことはありえなかった。そして、他の人も主人公に与えられない限り、カオスチャイルド症候群からは抜け出せず、現実を見ることはなかっただろう。結局のところ、人は元より与えられなかったもの、失ってしまったものについては、自分ではどうしようもない。自分の中から完全に、一欠けらも残っていなければ、どんなにがんばっても見つけ出せない。人に与えられて初めて、そこから抜け出すことが出来る。主人公は望まない形にしろ、それで与えられたことで初めて、現実を見つめることが出来た。そして、ヒロインは主人公に与えられることで、普通の女の子として現実を生きることになる。現実を見つけることが出来た主人公によって、他の症例者も現実を突きつけられることで、現実への帰還を果たす。他の症例者は現実から逃避をしていたから、現実を見つめられなかったわけではない。むしろ、逃避していた主人公よりも現実を見つめ、現実を受け入れていたからこそ、目の前の現実を壊されない限り、気づくことができなかった。

ここでも、がんばれば何とかなる、とかいう安直な安心は奪い去られる。残るのは諦観にも似た現実の受け入れだけ。ただただ、他人から運よく与えられない限り、元より与えられなかったものは、救われない。

じゃあ、諦めるか? なんてことも、実は許されない。

何故なら、この答えを受け入れてしまうこともまた、諦めだ。本来、おかしい現実は拒絶するべきだ。受け入れるものではなく、対峙するものなのだから。もし、これがなければ、このエンディングはありえない。つまり、どこまでいっても、私たちに安心させてくれない。それが現実で、受け入れ、拒絶し続ける、それこそが、唯一残された道なのだから。例えば、誰かから与えられなければ、救われない人がいるなら、運よく与えられる世界ではなく、誰かが必ず与えてくれる、少しだけやさしい世界にする。そうすれば悪くない世界だろ? それが無理でも、拒絶し、受け入れ、絶えず繰り返していく、それがこの作品のテーマなのだろうと思う。